宮城県指定文化財(S49.4.30指定)
平安末期、奥州藤原氏によってまつられた阿弥陀像です。身長が1丈(じょう)6尺(しゃく)(約4.8m)になるように作られていることから丈六(じょうろく)阿弥陀如来と呼ばれます。もとは平沢丈六囲の阿弥陀堂の本尊でしたがお堂が老朽化したため運び出され、町内のお寺を転々としていましたが、現在は平沢地区民の宝として保昌寺境内に安置されています。
江戸時代の平沢領主、高野家の菩提寺です。境内の高野家墓所には歴代領主と親族の墓碑が立ち並んでいます。また、高野家旧臣木村家の墓所には、伊達家のお家騒動『寛文事件』で首謀者の汚名を着せられて家門断絶となった原田甲斐の孫、采女・伊織(平沢にて刑死)を密かに弔った墓が残されています。
三尊堂舎:蔵王町指定文化財(H22.3.1指定)
江戸時代の平沢領主、高野家が菩提所・祈祷所として用いた寺で、もとは平沢山ノ入地区にあり清立坊と号していました。山ノ入地区の『一本杉』は清立坊参道並木の名残として伝えられます。寺宝の『三尊堂舎』は高野家当主武兼が作らせた宮殿型厨子で、彩色・金箔貼の社殿や強く反った板葺屋根など、見所の多い工芸品です。
見学は事前申込が必要(TEL:0224-33-2859 清立寺)
校庭の松:蔵王町指定保存樹木(H14.3.1指定)
しだれ桜:蔵王町い亭保存樹木(H14.3.1指定)
校庭の真ん中にポツリと生えている松の木。昭和8年(1933)、いまの天皇陛下のご誕生を記念して、地域で最も姿のよい松を小学校の奉安殿に移植したものです。今では学校のシンボルツリーとして親しまれています。
校舎裏を流れる小川の土手に植えられた4本のしだれ桜は、地元の名士が平沢小学校を県下一の桜の学校にしようと、大正10年頃に植樹したものです。毎年春に見事な花が楽しめます。
蔵王町指定文化財(S57.3.29指定)
高野家当主倫兼が語った「農民の心得」を刻んだ石碑です。その内容は道徳心を培うことによって農民が自発的に年貢を納めるよう促すもので、学問をよくし名君と讃えられた倫兼の人格がうかがえます。
宮城県指定天然記念物(S46.11.9指定)
樹高約45m、幹周約10mの県下最大級の巨杉です。奥州藤原氏がこの地に丈六阿弥陀如来をまつったとき、お堂の参道並木として植樹した杉の名残で、樹齢は約900年。幕末期、この地に『だるま講』がおこったことから『だるま杉』とも呼ばれます。根元の戒(かい)石(せき)銘(めい)は、だるま講の主宰者五十嵐?(ぶん)水(すい)がこの木の永世保護を願って建てたものです。
だるま塚及び古碑群:蔵王町指定文化財(S53.3.28指定)
だるま講石造物群:蔵王町指定文化財(H22.4.1指定)
『だるま講』は、幕末期、産科医五十嵐?(ぶん)水(すい)が主宰した安産教諭の女人講です。現在のだるま堂は平成22年に落成しました。堂内に安置された三柱のご神体(通常非公開)や、臨月の女性のお腹をかたどった『だるま塚』など、全国的にも珍しい民間信仰にまつわる文化財が残されています。
水神龍桜:蔵王町指定保存樹木(H14.3.1指定)
元和9年(1623)の蔵王山噴火の際、もともとこの地に湧いていた温泉が冷泉に変りました。以来、平沢では水の心配がなくなり、その恩恵に感謝した村人たちが水神社を建立しました。冷泉は今も湧き続け、『名水・水神社の水』として多くの人々に愛飲されています。
湧き口近くの桜の古木は、長く伸びた横枝が龍を思わせることから『水神龍桜』と呼ばれています。平成10年の樹勢回復作業完了を記念して地元住民が命名したものです。
高野家にあつく信仰された神社です。本殿は正徳3年(1713)に高野家当主倫兼が造営したもので、町内に現存する最古の木造建築物と考えられています。境内にある『一石一字経供養塔』は、倫兼の先代武兼が写経した一石一字法華経を埋納した供養碑です。
蔵王町を縦断し、川崎から笹谷峠をこえて宮城と山形とを結ぶ羽前街道。平沢花町地区からの道筋には昔ながらの峠道がそのまま残されており、歴史散策路になっています。頂上の『四方峠』は遠く太平洋まで見渡すことができる絶景スポットです。
イチョウ:蔵王町指定保存樹木(H14.3.1指定)
神亀3年(726)創建と伝えられる古い神社で、明治以降は小村崎村の村社に格付けされました。境内にある御神木のイチョウは、江戸時代に落雷で焼失した株元から萌え出た若芽が成長したものと伝えられています。
傷や皮膚疾患に優れた効能があるとして多くの入浴者が訪れる鎌倉温泉。奥州前九年の役で、源氏の武将・鎌倉景政が夢枕に現れた女神のお告げに従って温泉を発見し、目に受けた矢傷を癒したという伝説があります。鎌倉沢渓谷の谷あいに営まれ、春の桜、初夏のカジカガエルの澄んだ鳴き声、秋の紅葉など、季節ごとに素晴らしい風情が楽しめます。
室町?戦国時代の砦の遺構で堀切や土塁などが状態良く残されています。兵糧館から紫色の雲がたなびいたことから村名が小紫(小村崎)村になったという伝説があります。館跡からの眺めはすばらしく、史跡展望台になっています。
日本を代表する名峰・蔵王連峰。平沢・小村崎地区は、町内でもっとも美しい蔵王連峰の景観が堪能できるスポットのひとつで、『みやぎ蔵王三十六景』にも選ばれています。春には、水引き後の田んぼに映る『逆さ蔵王』も楽しめます。
「地域の農業を守り、楽しく元気な地域づくりをめざそう」と、平成19年6月に農産物直売所「産直市場みんな野」はオープンしました。地域の生産者がその日の朝採れた農産物を直接持ち込むので、最適収穫時の新鮮で、安全、美味しい農産物が揃っています。
運営:エコファーム蔵王株式会社
蔵王町で酪農を営み60年。牛の顔、人の顔が見える製品づくりを目標にオープンした牧場直営のヨーグルト工房です。プレーンヨーグルトはミルキーでしっとり濃厚な味わいに、ドリンクやヨーグルトはコクがありトロッとさわやかなのどごしに仕上げました。牧場自慢のヨーグルト、ぜひ工房にお立ち寄りください。
奥平家は家伝の系図によると村上源氏の流れをくむ家柄で、始祖国重が小紫郷(現在の小村崎地区)に来住したと伝えられています。奥平家住宅は文化6年(1809年・江戸後期)に建築された民家です。座敷には菊紋をいただく仏壇が造り付けられ、また、座敷裏には「武者隠し」と呼ぶ小部屋があります。